ランの花には美しいものが多い。
しかし、母親としてみた場合、植物の中でも希に見る冷たい母である。
種子から見たとき、子供の行く末を全然考えない母親である。

種子に明日を生きる貯金(養分)、エネルギーを全然与えないで放り出す。
他の多くの植物は、芽生え、ある程度大きくなるまでの養分を持たせる。
種子に胚乳を抱かせて、これで生きるように・・・・祈りを込めている。
少しでも生き残る確率を高くして、種族保存するためである。
しかし、ラン科植物は胚乳を与えなかった。
胚乳というのは自分が働いて得た貯蓄の一部である。
それを分けて種子に背負わせて離別するのである。

考えて見ると、ランの種子ほど哀れなものはない。
無一文で放り出されるのである。

しかも、どこに舞い落ちるのかさえ解からない。
この運命ほどきびしいものはない。

美しい花を咲き誇りながら、その本当の姿は冷徹に計算する顔を持つ。
新参者のランが、生き残るには、したたかな計算をしなければならない。

枯れ落ち葉のあるところにはラン菌がいる!
そのラン菌が「育ての親」になってくれる!

だから・・・・心配しないで・・・。

森の支配者である巨木だって、胚乳を具備した種子を作る。
海の王者鯨だって・・・子育てには長い時間寄り添う。
ランの場合は捨て子同然である。
獅子は千丈の谷底に子を突き落とすというが、ランほどではなかろう。
可愛い子には旅をさせよといういうが・・・・・
幼稚園以前から東大を目指してカネをかける人もいる。
それらと比べれば、ランの種子が背負う運命は過酷極まる。
生存率は数十万分の一であろう。


ランは、自生地においては新参者。
光、水分、養分・・・生きるために必要なものの争奪戦では勝ち目はない。
何時、侵略されるかわからない。
常にそういう危機感の中で生きなければならない。
種族は流浪の民である。
どこかに安住の地を常に求め探さなければならない。
多くの犠牲を払っても・・・である。
それだけではない・・・。
近頃、日本の愛好家は・・・・根絶やしするまで掘りつくす。


そういう状況の中で、種子に胚乳を持たせない・・・という逆転のウルトラCの発想が生まれた。
胚乳を持たせれば種子は重くなる。
広範囲に散らばることは出来なくなる。

この場面で登場するのが枯れ落ち葉の炭素循環養分である。
この養分に着目したとき、ランのランたる進化は完成した。
枯れ落ち葉なら地球上いたるところにあるからである。
枯れ落ち葉のあるところ・・必ず貧しいが・・・養分はある。
この養分の範囲で分を守りながらいきつづければ良い。


ラン菌と上手に付き合っていれば・・・・。
偶然、ラン菌とであった種子。
発芽することが出来ることになる。
しかし、これで大株まで生長できるということではない。
他の植物との熾烈な光、水分、養分などの争奪戦が待っている。


最も進化したランが、そのプライドを捨て、
最も原始的なコケ、羊歯植物の胞子をモデルに種子を作った。
ランにとっては肉を切らして骨を絶つほどの運命を賭けた種子製造であった。
ランが作る光合成は多くはない。
この乏しいエネルギー範囲の中での種族保存には、
冷たい母親になるしか道は無かったのである。

SUGOI-ne。
このラン菌による炭素循環ラン栽培法は、
この冷たい母親に・・なぜランがならなければならなかったかという謎解きから生まれたものである。

      ランは冷たい母親である
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kouza 6q